星になって輝いてます

2009.12.04 00:47|娘と孫
10月28日・・・娘は26年の一生を終え、天国へと旅立ちました。
長い長い闘病という、現世での修行を終えたのです。
これは、実は私の妄想・・・?それとも現実・・・?
受け入れたつもりが受け入れられない
そんな、気持ちがまだ揺れ動いている状態です。

以前にも書きましたが、娘が二人目の出産を終え5か月経った頃でした。
視力が弱くなったみたい…とメガネを作ったりしていたのですが、その数ヶ月後 突然目が見えなくなってしまいました。
眼科から脳外科に回され、その結果は「頭蓋咽頭腫」とのことでした。
相談室の長テーブルに娘の旦那、娘、私と座り、向かいに先生二人が座り、脳の標本を見せられながら、耳にしたこともないこの病名を先生から説明を受けたその時の事は、今でも忘れられません。

入院、手術と決まって身の回りの準備をし、娘を残し帰ろうとしたその時
「お母さん…」と、娘の涙をみたのは後にも先にも、この時の一度限りでした。
その後の娘は、早く目が見えるようになって、子供達を見たい一心で弱音を吐くことが一切ありませんでした。

手術は、12時間程の大手術になりましたが、一月ほどで退院することができました。
体力は落ちたものの視力も次第に回復し、見えるようになって退院し、一旦は実家である我が家で静養させることになりました。
それが以前ブログに書いた時のことです。


退院後2週間ほどすると、「なんだか、また目が悪くなったみたい…」と携帯で色々と調べているようでしたが
いくらなんでも手術したばかりでそんな・・・

とりあえず、自宅に戻り様子をみることになりました。
その間もメールのやりとりはしていたのが、次第にメールが来ることが無くなり
娘の夫と相談し、また病院で検査することになりました。
しかし、MRIの予約で1週間、撮影して結果が出るのに1週間
この2週間は娘の再発の進行にはあまりにも長く、結果が出る頃には食欲はなくなり、また目が見えない状態にまでなってしまっていました。
この数週間であっと言う間のことでした。

食事も目が見えないせいで、何を食べているのかも良く分からず
「その話さっきも言ったよ」とか
「いつって言ったっけ?」と何度も聞いてきたり・・・
認知証のような症状まででてきてしまう程の状態になってしまいました。

再発が分かってから、色々な病院を調べ都内の病院あてに紹介状を書いて貰い、ベットの空き状況から数日後の入院が決まったのですが
入院を待つ間も日中の殆どは寝ている状態と、食事を全く受け付けず体力は消耗していく一方だったので
自宅では、無理とのことで病院にお願いして、早めに入院をさせて貰うことになりました。
手術日までの体力の消耗が激しく、点滴も自分で抜いてしまったり、目が見えない状態でトイレに立ち転ぶと危ないとのことで、両手にベルトでベットに縛られ、動くとブザーが鳴るものまで付けられていました。

その後の手術で、片方の視力は殆ど失ってしまいましたが、意識もシッカリと元に戻ったものの、術後の検査では腫瘍が取りきれていなかった事で、3度の手術を毎月受けることになってしまいました。
放射線を一か月受け、3月に退院することができました。
ちょうど、下の子の満一歳の誕生日でした。
この誕生日は、娘の再帰とで盛大なお祝いでした。
片目が不自由となってしまいましたが、定期健診でも再発はしていないと暫くは穏やかな生活でした。
不自由な片目でも家族4人で、あちこちと夫が連れ出し出掛けたりと楽しい時間を過ごしていたのですが

11月・・・足がしびれ動きにくいと訴えるようになり、寝ていることも多くなってきた様子でした。
そしてまた、再入院

脳腫瘍の再再発と、脊髄にガンが転移していると診断され
ガンの専門病院へ転院

ここの病院での担当医の先生からは余命半年と宣告されてしまったのです
ここでも、2度の手術を受け
抗がん剤治療に入り、脊髄のガンはキレイに無くなったとの良い結果だったのです。

体調の落ち着いたところで、転院し脳の腫瘍のサイバーナイフ治療へ行くことになったのですが
一週間の転院から戻ったその日から意識がなくなり、いつ何が起きるか分からない状態になってしまいました。
体力の落ちていた体に片道2時間もの移動がかなりの負担になっていたのかも知れません。
その日から、娘の夫、私と夫と3人で交代での病院での泊まり込みになりました。
人工呼吸器といくつもの点滴を受けて寝ている娘の姿に声をかけ、音楽を聞かせ、体をマッサージしてみたりとあらゆる刺激を与え、少しでも意識を戻したい一心でした。
娘の夫を気遣い、娘の夫も私達の事を気遣いお互いに励ましあいながら
仕事もしながらの約2か月そんな状態が続いたのですが、私達の体力もかなり限界の状態でした。

何とか、状態も落ち着いてきているので(と、言っても娘は相変わらず意識がない状態のままでしたが)
危機は脱した状態とのことで、病院へは通いで来ることになりました。

娘の夫も自宅から2時間半、私の自宅からは約1時間半
娘の夫と交代で通うことになりました。

娘の夫は週に一度は、オムツやら着替えの入ったバックを持ち、3才と2才の子供達二人を両手に連れて意識はないものの家族4人で過ごすようになりました。
娘のベッドに一緒に寝たり、お母さんに聞かせてあげるんだ。と覚えた歌を歌ったりと・・・

娘ももちろんですが、幸せを夢見て結婚し、二人の子供にも恵まれ幸せの絶頂だったのに・・・
そして、殆ど母の記憶がなく育っていくのであろう幼い子供達の無邪気な様子に、胸が苦しくてなりませんでした。

約7ヵ月、そんな状態が続いていました。
その間、何度か危機はありましたが、若いせいかその度に持ち直して乗り切ってきたのですが
10月28日 朝
「お母さん、あまり状態がよくないようです。」
「わかった、仕事が入っているんだけど、後で行くね」
また、持ち直せるだろう・・・
とは思いながらも 仕事は休ませてもらうように手配をすると、娘の夫から電話
「お母さん、来た方がいいかも知れません。今子供達も両親に連れて来て貰うように言ったので」
何度も覚悟はしてきたけれど、今がその時なの?
これってどういう状況なの?

すぐに、私の両親にも一緒に来てくれるように話し、夫にも連絡し病院に向かった。
ちょうど、朝のラッシュ時とあって一時間半で着くところが、かなり遅れてしまった。

ナースステーションの前を通ると、いつもの担当の看護師さんが駆け寄ってきて
「お母さん・・・遅かった・・・」と、泣いていた
いつものように病室に入る前には石鹸で手を洗い、消毒をしながら
「えっ・・・」その時の自分の顔 「うそだぁ~」って半笑いだったかも・・・

病室に入ると、病室中のあらゆる機械はキレイに片付き
広々とした病室の真中のベットで娘が寝ていた
既に頬も唇も血の気が引いていた
私はその顔を見て初めて、起こった事実に気づいたのかも知れません
夫が先生から、今の状態の説明を聞き 病室に戻り手を握ってあげると
目をしっかりと開け、口を2、3回動かした後、動かなくなってしまったそうです。
きっと、「ありがとう」を夫に言ったのだと思います。
あとは、言葉にできません・・・

旅立つ娘は私が結婚式に作ったティアラとネックレスを付け、毒りんごを食べてしまった白雪姫のようでした。
お花いっぱいの棺の中の娘のおでこに二人の子供からキスで最期のお別れをし
夫は「これから頑張るから、見ててね」と・・・

多分私以上の愛情を夫から貰った娘は
今は、長かった病院生活から自宅に戻り、いつも子供達と夫を見守っていることだと思います。

ブログもどうしようか・・・と、悩みました。
目の前の娘の写真は、ついこの間の水天宮に二人目出産のお礼参りの時の写真で
いつもの娘の顔です。
だから、この現実が妄想と思ってしまうのかもしれません。
でも前を向いて、シッカリと人生を生きていくのに
この壁は乗り越えていかなくてはなりません
そのためには、365歩のマーチの3歩進んで2歩下がることも必要です。
進むことも下がることも、このブログに書き込んで気持ちを整理していきたいと思います。
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タグ:脳腫瘍 頭蓋咽頭腫

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